数年前から通っているアトリエ工房の帰り、急に思い立ち『近くの古墳』で検索して見つけた古墳3基。
西求塚古墳、処女塚古墳、東求塚古墳。
とりあえず墳活だーーー‼️
と、1番近くの西求塚古墳へ。
そして、古墳の看板を見て今までにない物語のある古墳と知って土器土器が止まらない😍
西求塚古墳は前方後方墳で墳丘に砂場や遊具のある、地域のコミニティになってる温かさのある古墳でした。
次に訪れた処女塚古墳
処女塚古墳は墳丘の上をキレイにならされた美しい凛とした雰囲気の前方後方墳でした。
行ったのが日が暮れてからということもあり、
より神聖な空気の古墳でした。
そして、最後が東求塚古墳。
こちらは広い公園の真ん中に石碑が立っている古墳で、墳丘こそないものの堂々たる石碑に圧倒されました。
3基の古墳の説明看板には悲恋伝説が書かれており、帰宅後調べてみたのがコチラ👇
『悲恋伝説』
遠い昔、六甲山(ろっこうさん)のふもと、ちょうど現在の神戸市灘区(こうべしなだく)のあたりに、菟原(うばら)という村がありました。この村に、それは美しい娘が住んでいたということです。
顔や姿が美しいばかりでなく、娘は心もやさしく、機織(はたお)りがたいへんじょうずでした。人々はうわさを聞いて、ひと目でよいから娘を見たいものだと、訪ねてくるのでした。そうした人々の中に、二人の若者がおりました。一人は娘と同じ菟原の村に住む若者。もう一人は、海をわたった向こうの和泉国(いずみのくに)に住む若者でした。
「どうか私のおよめさんになってください。」
二人は熱心にたのみこむのでした。娘の両親も、どちらかがお婿(むこ)さんになってくれたらと思いましたが、娘の心はなかなか決まりません。二人があまりにすばらしい若者なので、どちらを選んだらいいのかわからなかったのです。迷い続けるうちに、娘はだんだんとやつれてゆきました。
一方で若者たちは、何とか娘をおよめさんにしたいと、ますますはげしく競争するようになっていました。そのようすを見ていると、このままでは刀を持ってきり合いを始めてしまいそうです。若者たちが競争すればするほど、娘の心はしずんでゆく一方でした。そしてとうとう、娘は、近くを流れる生田川に身を投げようとするまでになってしまいました。
兵庫県立歴史博物館ページ参照👇
処女塚古墳Wikipedia参照👇
築造年代は3世紀後半と推定されている。1922年(大正11年)3月8日に国の史跡に指定[1][2]された。主に山陰系土器が出土しており石屋川流域に存在する郡家遺跡集落の一部とされている。
所在地から西約2000メートルの位置にある西求女塚古墳、東約1500メートルの位置にある東求女塚古墳とともに、万葉集や大和物語などに登場する悲恋伝説(菟原処女の伝説)の舞台として知られている。
古墳の脇には、湊川の戦いに敗れた新田義貞を逃すためにこの地で討ち死にした小山田高家の石碑が建っている。
ミカ墳です.
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