生まれも育ちも高槻なのに、まだまだ高槻市内の古墳に行けてないのはダメだと2021年ギリギリに思い立ち行ってみた帯仕山古墳。
高槻の高台にあり創建時は絶景だったはず。
今は周りが閑静な住宅地。
円墳の面影が残る墳丘から石室が見え、
また時期的になのか草木がキレイに刈られている姿はかわいらしい印象でした。
高槻市立埋蔵文化財調査センターより👇
帯仕山の古墳 塚脇古墳群は標高192mの帯仕山を中心にひろがっています。これまで にみつかった約50基の古墳はおおむね直径10mから20mの円墳で構成さ れ、6世紀後半から7世紀にかけてつくられました。これらは芥川西岸 につくられた西群、帯仕山の南斜面から麓にかけて展開する南群、おな じく東斜面にある東群の3グループに分けられます。
帯仕山の南一帯は「服部」と呼ばれ、古代には服部(はとりべ)とよば れた機織りを仕事とする渡来系の人々が住んでおり、その中心には神服 神社がまつられています。 塚脇古墳群にはこれら機織り集団とそれを支 えていた人たちが埋葬されていました。 この地域には大蔵司遺跡や宮之 川原遺跡などの集落跡がひろがり、 奈良時代に神服神社でおこなわれた 厄払いの道具などもみつかっています。
ここに保存しているC7号墳は、 昭和56年に発掘された直径9.5mの円墳です。 古墳の中央には棺を納めるための横穴式石室がつくられ、中からは人骨の一部とともに死者が生前使っていた装身具(耳飾り) や食 器(須恵器や土師器の杯や椀) などがみつかっています。 この古墳は6 世紀末ごろに築かれました。
帯仕山の西側には城山 (三好山) がそびえています。 そこには16世紀 に芥川山城が築かれ、 細川晴元や三好長慶らの有力武将が居城していま した。永禄11年 (1568) 芥川山城への攻撃はこの帯仕山に陣城(向山城) が構えられ、山城とのあいだで戦いがくりひろげられた記録があります。
高槻市埋蔵文化財センター👇
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/shisetsu/1327318977447.html
ミカ墳です.
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