坊主塚古墳 in亀岡市

出雲大神社の古墳、千歳車塚古墳とついで『近くの古墳』で検索して出てきた坊主塚古墳はもう名前がなんか好き♡

息子たちが高学年まで1mmの坊主頭だったから

丸刈りとか『坊主』という言葉に親近感を持ちやすいミカ🤣🤣

と、いうわけで行ってみました!

坊主塚古墳は意外にも方墳!

坊主頭連想から勝手に円墳を予想してたので

キレイな直接の方墳にビックリ。

お地蔵さまの並ぶかわいらしい古墳で3辺を畑に囲まれていてあぜ道を利用してぐるっとまわらせて頂きました。

こちらも時期的に新緑の頃だと

緑の美しい古墳になるんだろうなーって思いました✨

坊主塚古墳Wikipedia

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京都府中部、亀岡盆地北部の呉弥山丘陵の縁部に築造された古墳である[1]。1956年昭和31年)および1998年度(平成10年度)以降に発掘調査が実施されている。

墳形は方形で、一辺約38メートル・高さ約5メートルを測る[1]。墳丘は2段築成[1]。墳丘表面では葺石のほか、円筒埴輪(シカの絵画埴輪を含む)・形象埴輪(馬形・鳥形・人物形・蓋形・盾形埴輪など)が検出されている[1][2]。墳丘南側には造出を伴い、造出からは埴輪が集中して検出されている[3]。墳丘周囲には周濠が巡らされるほか、その外側に外堤・外周溝が巡らされ、これらを含めた古墳全域は一辺約68メートルの規模になる[2]。主体部の埋葬施設は墳頂下における組合式木棺の直葬[1]。木棺(北頭位か)は長さ4.2メートル・幅50センチメートルを測り、棺の内面には朱が塗られる[1]。副葬品として棺内から矛が、棺外から銅鏡や当時最新式の甲冑一式・武器などが検出されている[1][3]。

この坊主塚古墳は、古墳時代中期の5世紀後半頃の築造と推定される[1]。武器・武具の保有でよく知られる古墳であり、被葬者には畿内ヤマト王権における武人的性格が指摘される[1]。また亀岡盆地における有力首長墓であるが、前代の首長墓と連続しない点、方墳が盟主的位置を占める亀岡盆地の典型例である点でも注目される古墳である[1]。

出土遺物は1986年(昭和61年)に亀岡市指定有形文化財に指定されている[4]。なお付近には天神塚古墳のほか、古墳時代中期-後期の池尻古墳群、白鳳期寺院の池尻廃寺跡が残り、当地の勢力の台頭・変遷が示唆される[5][1]。

来歴編集
  • 1956年昭和31年)、市史編纂事業に伴う発掘調査:第1次調査。副葬品の出土[1][3]。
  • 1986年(昭和61年)3月31日、出土遺物が亀岡市指定有形文化財に指定[4]。
  • 1998年度(平成10年度)、国営農地再編整備事業に伴う発掘調査:第2次調査(亀岡市教育委員会、1999年に報告書刊行)[6]。
  • 1999年度(平成11年度)、国営農地再編整備事業に伴う発掘調査:第3次調査(亀岡市教育委員会、2000年に報告書刊行)[2]。
  • 2003年度(平成15年度)、国営農地再編整備事業に伴う発掘調査:第4次調査(亀岡市教育委員会、2005年に報告書刊行)[7]。
出土品編集

発掘調査で検出された副葬品は次の通り[1]。

  • 仿製神獣鏡1 – 直径14.2センチメートル。
  • 三角板鋲留短甲1
  • 横矧板鋲留衝角付冑1
  • 付属具1 – 挂甲・肩甲・籠手・草摺。
  • 鉄刀4
  • 鉄矛1
  • 鉄剣2
  • 鉄鏃16点以上

Wikipediaリンク🔗

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E4%B8%BB%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3